先日、義父が亡くなりました。
記憶が鮮明な今、こっそりと私なりの弔辞も兼ねて記してみます。
青年期は、中卒後、集団就職黄金期で、プリンスホテルに就職し、叩き上げで日本料理の板長になるなど、様々な転職先で料理人として腕をふるってきたそうです。
壮年期は、聞いた話しでは、天皇の避暑地の軽井沢で、宮廷料理人として、臨時で立ったり。
ディズニーランドの味をチェックする総監督的な仕事など。
料理人人生を華々しく活躍された義父でありました。
ディズニーは、食中毒などの衛生面を特に厳しく徹底したそうです。
晩年期は、ぎりぎりまで、厨房に立ち、義父の作った料理を人々に振る舞い幸せにしてきました。
初めてお会いしたのは、現在の嫁さんとお付き合いをして一年ぐらいたった頃で、挨拶をしに行った時でした。
噂によると短気で、豪快な方との聞いていたので、内心びびっていたのを覚えています。
応接間に通され、暫く待っていると、派手なスウェットで現れました。ガルフィ的な感じだったかな。
堅い雰囲気で、始まると思いきや、事前に様々な料理を用意していてくれて、私に振る舞ってくれました。
もちろん、とても繊細な味付けでとても美味しいかった事を覚えています。
初めてお会いしたにもかかわらず、気さくに話しかけて頂き、お付き合いしてることを認めて頂きました。
その後、私達は結婚し、子にも恵まれ、事ある毎に料理をごちそうして頂き、色々な所にも出掛けたりしました。
息子の運動会などには、しこたま唐揚げやちらし寿司などを作って頂き、周りの、息子友達家族にもお裾分けしていました。
そんな、義父ですが、闘病の末に亡くなりました。癌でした。
コロナのご時世にも関わらず、通夜に参列して頂いた、大勢の方々を見ると。
人徳があり、情に厚かったのだと改めて思いました。
義父の人生を、私が知る部分は歴史の一ページにも満たないと思いますが、
一本気の負けん気が人一倍強く、時には逆恨みされ、貶められるなど、激動な人生を歩まれたそうです。ただ、無茶苦茶働いたそうです。
そして、認めた人間にはとても情に厚い方でもありました。
生前、義父は孫達にも囲まれ幸せであったと。そして、感謝、感謝、ありがとう。と。
命のタスキは、子達にパスされ、やがて孫に
と繋いでいく事でしょう。
式を通じて感じたのは
人生って、最後にどれだけ心から、哀しみ、泣いてくれる人がいるのかって事が大事
なんじゃないかなって思いました。
安心して下さい。
義母は哀しみ、気落ちする暇もない程、孫を送り込んで笑って過ごせる日々にしますから!
享年72才。
じぃじ、ありがとう。